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2008年03月11日おばあちゃんの涙



中学1年の頃

リウマチで寝たきりになった、母方の祖母を半年程、ウチで介護することになった



2階の1番見晴らしの良い部屋が、祖母の部屋となりベッドが置かれた

両親が共働きだったため、私が率先して介護を引き受けた



お粥を主体にした刻み料理・衣服の着替え・躰をふいたり・下の世話など一生懸命やっていた

それは孫として当たり前のことだと思い1度も嫌だと感じたことがない



「いつもどうもありがとう。孫の中で1番思いやりのある優しい子だねぇ」

と口癖のように私を褒めてくれた



たくさんの辛くて過酷な経験をもつ祖母だが、愚痴1つ溢さず礼節を重んじて、いつもにこにこ笑顔でいる

私はそんな祖母が大好きだった

祖母は生まれ育った宮古島の話しをよくしていた

宮古民謡の歌手・国吉源次が大好きでカセットでながしていた

私はその曲に合わせてオリジナルの振り付けで祖母のために楽しく踊った

祖母は満面の笑みを浮かべて喜んでくれた



祖母はよく窓の外を見つめながら

「ランドセルを背負った子どもたちが、歩いている姿が可愛いねぇ」

と独り言みたいに呟いていた



それから半年後

祖母は長男の家で介護されることになった……


私は見送るのが辛くて祖母のいた部屋で静かに泣いていた



約2年がたった後

親戚会議の結果

祖母は老人施設に入所させることに決まった


それを母から聞いて激怒した


「私がおばあちゃんの介護をするから!そんな所にいれないで!お願いだから」

「我慢しなさい!もう決まったことなんだから!たくさんお見舞いに行けばいいじゃないの」


5人も子どもがいるのに、自分の親の面倒をみるのが嫌だから、老人施設に入れるなんて、そんな言い訳は聞きたくない


私は母としばらく口を聞かなかった



高校3年の時

私は看護師を目指す決意をした

免許をとったら私が祖母を引き取って看護しようと思った



神奈川のとある看護学校2年の夏休みに帰郷


両親と3人で祖母のお見舞いへ



「ここは良い所です。職員のみなさんは、とても優しいし、いろんなボランティアの方々が民謡や舞踊をしたり話し相手になってくれて楽しいねぇ」

祖母がそう言ったら母は喜んで、お花の水を取り替えに行き、父は職員に呼ばれて席をたった



「…美月。本当はね。おばあちゃんはあなたの家に帰りたい…あなたの踊りが1番大好きだし、真心がこもった料理が美味しかった…」

そう言って泣きだした


初めて見た祖母の涙


私も泣きながら、痩せて細くなった祖母の手を握りしめた


「大丈夫よ。おばあちゃん。看護師の免許を取ったら、迎えに来るからね。私と一緒に暮らそうね…」



その年が明けて、看護師の資格試験の約2週間前、祖母の容態が急変し他界した



看護師の免許は取得したものの、敬愛する祖母を失い、たったの1年間で辞職した





肉体は滅びても生命は永遠に存在し『生死流転』で、人はこの世に何度も生まれ変わってくるという説がある


もし私が祖母なら私の1番近くに生まれ変わってくるだろう



それがたった1人の子どもである息子ではないかと思うことがよくあるのだ。。。。。






※写真 by SIN






Posted by Jeanne.d’Arc at 08:33│Comments(18)TrackBack(0)
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この記事へのコメント
おはようございます~♪

おそれいりました!

Jeanneさんの心の広さには感服いたしました^^

Jeanneさんと一緒にいたかったんですね~
おばあさんお気持ちを考えると
涙が出てきますね~
その点
大人って悲しいですね~

私も含めて
反省しなきゃ~です
Jeanneさん
看護士復活しましょうよ~♪
Posted by TADARINTADARIN at 2008年03月11日 09:24
TADARINさん

おはようございます♪

私はおばあちゃんっ子でした

欠点ばかりの私を小さい頃から可愛いがってくれました

どんなにささいな事でも褒めてくれて嬉しかったなぁ

おばあちゃんから愛情をいっぱいもらいました

昨日は『ヒデちゃん』で3人のおばちゃんたちに逢い

TADARINさんのブログを読み、影響を受けて書きました

原作はもっと短くて地域の新聞にも載ったエッセーです


息子は将来、科学者になたいという意思が小さい時から強いので

タイムマシーンを造ってほしいとお願いしています

もし完成したなら元気な頃の祖母に逢いにゆきたいです

「私は今、幸せです」

と一言でも伝えたいです

(*^_^*)
Posted by Jeanne at 2008年03月11日 10:09
Jeanneさんのおばあちゃんは本当の気持ちが言えるほど信頼していたのですね〜(^-^)

読んでいて涙がでてくるほど愛情の深さを感じました。(T-T)
Posted by hina at 2008年03月11日 10:28
hinaさん

このエッセーを打ち込みながら、私も泣いていました

私と祖母の信頼の絆と愛情は深いですね

亡くなった今でも側で見守っている感じもしますよ

(*^_^*)
Posted by Jeanne at 2008年03月11日 10:45
心温まるお話ですね~
Jeanneさんのナイチンゲールの原点は
ここにあったんですね~
中1でこんなに介護が出来ないですよ!
すごい思いやりのあるいい子だったんですね!
今でも!!!
おばあちゃんは、今でもずっとJeanneさんの
ご活躍を見守っているでしょうね・・・
Posted by とんとんみーかりかり at 2008年03月11日 11:58
とんとんみーかりかりさん

私は自分のために看護師になりたいと思っていませんでした

祖母の看護をするためでした

亡くなったと父から電話があった時、人生で最初の大きな挫折を迎えました

試験が控えていたために、告別式にも行けず苦しい日々が続きました

祖母は全身全霊で孫の私を愛し、私の良さを褒めて認めてくれました

でも高齢の患者さんたちに可愛いがられ、立ち直ることができました

祖母への恩返しを患者さんにすることで、心が安らぎました


今は新たな目標を掲げ息子とともに頑張っています

祖母は亡くなった今でも心の中で生き続けています。。。。
Posted by Jeanne at 2008年03月11日 12:26
良いお話だね(´;ω;`)ウゥ
Posted by ぽろりん at 2008年03月11日 12:36
ぽろりんさん

私の亡き祖母は宮古美人でスラリと長身で歌が上手いと評判が高かったそうです

その上、性格も良いのでたくさんの人々に慕われていました

そんなことをちっとも自慢しない祖母が本当に大好きでした

今でも生きていたらどんなに良いだろうと思います

(*^_^*)
Posted by Jeanne at 2008年03月11日 12:54
こんにちは~

(〒_〒)ウウウ
私もおばあちゃん大好きだから、よくわかります。

私の祖母は足が悪いので、いずれは、私の実家を建て増しして、祖母と一緒に住むようにするそうです。

いつまでも、元気にいて欲しいなぁと思います。
Posted by ぷりんももぷりんもも at 2008年03月11日 13:21
ぷりんももさん

私にはもう祖父母はいません

物心ついた時には2人の祖父はもう亡くなっていました

今は2人の祖母も亡くなりとても寂しく思います

だからぷりんももさんがうらやましいなぁ

おばあちゃんをまだまだ孝行してあげられます

ぷりんももさんは一生懸命で温かな人柄だから、きっとおばあちゃんもそういう人ではないかと思います

私は沖縄から見守ってるからね (^^)
Posted by Jeanne at 2008年03月11日 13:34
Jeanne さん こんにちは!

心が 温かくなる。。素敵なお話ですね♪
おばあさまとの 強い信頼と絆・・素晴らしいなぁ~と、思います。
Jeanne さんが持つ、温かさや穏やかさ・強さは・・
このような 多くの体験や、素敵な思い出の数々から~
溢れ出るのでしょうね♪^^

ほんわかと、、拝見させて頂きました。ありがとうございます!
また お邪魔しますね~☆
Posted by kaho at 2008年03月11日 17:20
kahoさん

敬愛する亡き祖母との想い出はいっぱいあります

元気だった時、いつも琉球かすりの着物を着けて髪を結い上げ、背筋を真っ直ぐに立って歩く姿が美しくて凛とした上品な雰囲気の祖母でした


祖母が歌う宮古民謡の歌声は透き通り滑らかな美しさでした

琉球民族として生まれたことを誇りに生きている祖母が大好きでした

本当に…本当に大好きでした

辛い時や苦しい時、おばあちゃんだったら何と言って激励するだろうか

楽しい時や嬉しい時は何て言って共に喜ぶだろうか

そうやって自分に言い聞かせてこれまで生きてきました

祖母の心を代々子孫に受け継いでいけたらと思います

(*^_^*)
Posted by Jeanne at 2008年03月11日 17:42
僕も沖縄移住初期の頃
老人施設で働いていた事があります。

僕自身は楽しかった思い出ですが

確かに、肉親の介護問題という
現代社会の暗くて重い現実も
垣間見ましたね・・・・(苦笑)
Posted by 鍛人鍛人 at 2008年03月11日 19:12
鍛人さん

祖母は施設の職員のことは好きでした

体位交換や食介をしながらゆんたくするのが楽しいし、優しい方が多いと言っていました

祖母が1番嫌だったのはお風呂の時間でした

他人に自分の裸を見られたくない特に男性職員には見られたくないと。

それは祖母が女性としての誇りがある古風な考えの人だったからなのです

私が看護助手の時にはお風呂に気を使っていました

女性には女性のスタッフが担当でつき、なるべく相性が1番合うスタッフが行うこと

祖母が言っていたことを1人の患者さんの声として反省点にあげ考慮して行うようにしていました

しかし、祖母が亡くなってからは大きな目標を失い希望が消えて免許を取得して1年で辞めてしまいました

また後日、その理由をエッセーでアップしたいと思います
Posted by Jeanne at 2008年03月11日 19:36
こんばんは☆

読んでいるうちに、涙がこみあげてきました。
「5人も子供がいるのに、老人施設に入れるなんて・・・」
というところ。
Jeanneさんのブログには、「温かい」ものがありますね☆
Jeanneさんの優しいお人柄がよく伝わってきます。
Posted by piyopiyo at 2008年03月11日 21:24
piyoさん

孫の中で1番祖母に似ていると言われて育ちました

祖母を老人施設へ入所させることを母から聞いたのが中学3年の多感な時期でした

母に生まれて初めて反抗しました

祖父は5人目の子どもが産まれて1年くらいたった後、病死しています

祖母は貧しい中を必死で5人の子どもを育て上げた気丈な人でした

それなのに母を含めてたったの1人も祖母の面倒をみようとしない

私は孫の立場であり子どもだからって大人は私の意見に耳を傾けようとしませんでした

祖母を失った悲しみは今でも消えません

でも祖母からいろんなことを学びました

人として何が大切なのか無言で教えてくれました

私が生きている限り、心の中に祖母は生き続けます。。。。
Posted by Jeanne at 2008年03月11日 21:49
Jeanneさん!こんばんは~

お孫さんにこんなにまで愛されたおばあちゃん・・・
とても幸せだと思いますよ!
人の最後にどれだけの方が焼香に来てくれるかではなく
何名の人が惜しんで泣いてくれるか・・・
だと自分は考えていますので
おばあちゃんもきっとJeanneさんの気持ち・・・
伝わっていると思いますよ!
Posted by えいじえいじ at 2008年03月11日 23:44
えいじさん

私は祖母が亡くなった時、後悔しました

神奈川ではなく何故沖縄の看護学校へ行かなかったのかと……

母への反発から一緒に住むことが嫌で単身神奈川へいきました

大人の矛盾した考え方がどうしても理解できなかったのです

しかし、亡くなった時が看護師試験を目前に控えた時でしたから、告別式にすら参加できなかったのです

自分の手で看護して祖母の最後を看取ることができなかったことが悔やまれました

どれだけの人が告別式に参列したかではなく、何名の人が惜しんで泣いたのか

本当にえいじさんの言う通りですね

昨夜、祖母の夢をみました

祖母との想い出は色あせることなく脳裏に焼きついて離れないのです。。。。
Posted by Jeanne at 2008年03月12日 05:35
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