てぃーだブログ › *☆桜レター。☆ › 2008年07月

2008年07月29日★本当にあった奇妙でリアルな寝言



約3年前、息子が私立中学の受験で東京に行った時のこと

1月の寒い日だった



受験当日の午前4時頃


「未来!3千年!」

その声に驚いて飛び起きた

隣りのベッドで寝ている息子の大きな寝言



それは今に始まったことじゃない

小さい頃から大きな寝言を言う癖があった

本当は起きてるんじゃないかと思うことが何度もある



苦笑しながら、私は悪戯っぽく質問をしてみた


「3千年後の地球にはまだ人間は住んでいますか?」


「はい!今の地球環境は破壊されていますが人間は住んでいます!」


な・な・なんと返事が返ってきた

それも即答で!


SF小説が大好きだった少女時代の心が蘇る


「その頃の地球に人間はどうやって住んでいますか?」


普段の息子の言葉遣いではないために、つい敬語になってしまう


「分厚い透明なガラスの巨大なドームに人間は住んでいます!そこには川も森も草花もあり………………」


難しい科学用語も飛び交いながら説明をする息子のあまりにもリアルな寝言だ


3千年後にタイムスリップした夢を見ているのだろうか?

…というよりも息子ではない他の誰か!?

科学者の霊がのりうつっているとか?


霊感がある私は部屋中を見回すが、霊的反応は一切ない


もう一度、訪ねてみた

「その時、あなたはどんな仕事をしているのですか?」


「世界的に有名な科学者になっています!」



その言葉の後に穏やかな寝息をたてて眠っている息子



寝言にしては奇妙すぎる…


窓の外を眺めると、まるで時が止まったように静かだ

そしてこの部屋の時間だけが何倍もスピードが加速している感じるがする


(これはいったい…)

何が起きているのか?

初めての不思議で奇妙な体験に不安がよぎった

緊迫感ではりつめた中、風がないのに空気が川のようにながれている感じ…



しばらくすると元の空気に戻っていったのでホッとした




その数時間後、ある喜劇のような悲劇が待っているのも知らずに………




  

Posted by Jeanne.d’Arc at 08:45Comments(16)TrackBack(0)

2008年07月26日☆ラジオ体操の先生



今週の月曜日の早朝

息子の夏期講習のお弁当の食材を買いに24時間スーパーへ

近所の公園の横を車で徐行していた

チラッと公園を見ると私の父と双子の姪がラジオ体操をしていた


「あれっ!?
他の子どもたちと保護者はいないのかな?」

と独り言をつぶやいてゆっくり通りすぎた



その日の夜

父に疑問をなげた

「子ども会の班長が、夏休みのラジオ体操の担当者になってるはずだけど、今年はいないの?」

息子が小学6年の時は私が班長だった


父は困った顔をして

「班長どころか子ども会がなくなったそうだ」

という意外な返事がかえってきた


少子化と共働きの親が増えたのが大きな要因らしい



父は私たちが小学生の時、地域の子ども会の会長で、手伝う親もたくさんいて、子どもたちも学年や男女に関係なく仲が良かった

ビーチパーティーやプール・花火大会・公園での野外映写会などの活動が活発だった……



翌朝からカセットデッキを父に用意してもらい、私を中心にラジオ体操をはじめたら、双子ちゃんも他の子どもたちも喜んいる



「みなさん、ラジオ体操は体育の宿題のようなものです。その後はレクレーションの時間もとります。日曜日と雨と台風の日は休みです。最後まで早起きを頑張って一緒に楽しみましょう」

「は〜ぃ!」


最初は少なかったけれど、小学1年〜4年生が主に10人弱が参加している

ラジオ体操第2まで終わったら、かけっこ・じゃんけんゲーム・鬼ごっこ・クイズなどの遊びをみんなで行う♪♪

子どもたちとゆんたく(お喋り)しながら、ラジオ体操のカードにスタンプを押していると、あっという間に40分以上は経ってしまう


私が小学生の頃と全く同じことをしているだけなのに、テレビゲーム世代の子どもたちには新鮮で楽しいようで、瞳がキラキラ輝いている


近所の子どもたちとこんなふうに過ごす時間は実際には貴重で童心にかえったりする

そして何よりも子どもたちの笑顔から美しいエネルギーをもらっている感じがする



それにしてもブランクがかなり空いてたはずなのに、ラジオ体操第2までよく覚えているものだと自分に驚き、つい苦笑してしまうのは私だけなのかなぁ。。。。。




  

Posted by Jeanne.d’Arc at 12:41Comments(20)TrackBack(0)

2008年07月23日もう一つの誕生日



7月19日…

それは私のもう一つの誕生日



当時、22才の私は、過去のトラウマと挫折により自暴自棄になっていた

最愛の母方の祖母を亡くして3年の月日がながれ、悲しみによる胸の空洞は埋まることがない

この世で最も私を愛し、慈しんでくれた祖母は私の良さを認めては褒め、誰よりも必要としてくれた

生きる価値を、存在を与えてくれた琉球民族の誇り高き崇高な女性だった



そんなある日、自分を責めていたばかりの私に、1人の友人が

「もし、写真に興味があるなら一緒に観にいかない?」

って一枚のチケットを渡された

名前は一度も聞いたことがない写真家の写真展…



当日、会場は人でいっぱいだった

自然や町の風景・民衆の笑顔が主に美しく撮られた写真の数々に魅了されていく

そして…ある写真の前で私の足が止まった

「………!?」

雨露にキラキラ輝く雑草の写真

まるで金縛りにあったみたいに身動き一つ取れず、じっと見つめているとその写真家の心の美しさや慈悲深さが伝わり、感動で胸がいっぱいになる

隣りにいた友人がハンカチをそっと渡してくれた

どうやら自然に涙が溢れだして頬を伝っていたようで……


(私は雑草みたいに何の価値もない人間なんだ)

という心の悲鳴に、光り与えられ、生きる伊吹きを吹き込まれた感じがした



それから、生きる目標を見つけ必死で学び、1年後、国立の大学に合格した


その年の冬、小さな塾を開設、小学生で落ちこぼれと言われて心が傷ついてる子どもたちに勉強を教え始めた

どんなささいなことも褒めて教育した

亡き祖母が私にそうしてくれたように…



当時買ったミノルタの一眼レフが2台目に変わった今でも、沖縄の自然の風景や子どもたちを撮り続けている



生きる屍のような私が、使命を感じて再び生まれ変わった日

それが7月19日なのだ





※写真 by SIN


  

Posted by Jeanne.d’Arc at 06:19Comments(14)TrackBack(0)

2008年07月05日ポールの洋服♪



かつて父は外国航路の機関長だった

朗らかで豪快で温かい性格

お父さんっ子の私だったが、1年の半分は航海で家にいない父だった



4才の私は弟が生まれて1年が過ぎ、母は弟にとられた感じがして淋しい思いをしていた

保育園には行ってなかったので、幼なじみのかつみちゃんとよく遊んでいた

かつみちゃんは10人兄弟姉妹の末っ子で両親も祖父母も一緒に暮らす大家族!

いつ遊びに行ってもにぎやかな家で、うらやましかった

核家族のウチにはない家族風景…



そんなある日

「お父さんが明日帰ってくるそうよ」

と母から聞いたら、嬉しくてそわそわしていた私

翌日の昼を過ぎておやつを食べ終わると家の門の前で、ずっと立っていた



船の機関長の制服はパイロットの制服とよく似ていてかっこいい


夕方、父が私を見つけて笑顔で手をふる

「ただいま。待っててくれてありがとう」

そう言って頭をなで軽々と抱きあげてくれる



家に入るといろんなお土産を見せてくれた

そこには見たことのない外国の食べ物やおもちゃがズラリと並んでいる

そして私の知らない外国の話しをたくさんしてくれた


「シンガポールに寄った時、可愛いワンピースを買ってきたんだ。」

父が紙袋から取り出した私へのお土産は……

長袖のワンピースで斜め半分は純白で、残りの半分は虹色で、可愛いというよりも眩いほど美しい服だった

どこか民族衣装のような品の良い華やかさがある



母が着替えさせてくれた

「まあ、ぴったりね。よく似合っているわ」

母が微笑んでいて、隣りで父も嬉しそうにうなずいている



私はシンガポールという発音がきちんと言えなくて『ポールの洋服』と呼んでいた



カメラが趣味の父が記念写真を撮ってくれたのが今も手元にある

オードリーヘップバーンが映画『ローマの休日』で、バッサリと髪を切り、ショートパーマをあてたような髪型の幼い私はおすまし顔だ



この写真1枚を見ても両親に深く愛情をもって育てられていたことがよくわかる



その2年後、妹が生まれ、少し古びた『ポールの洋服』は妹にゆずられた



妹が私のお古をその後何年も着せられたことに対する不満は、大人になってから何度も聞くことになるのだが……



ポールの洋服の美しい想い出までは妹には伝わらなかったかなぁ。。。。




  

Posted by Jeanne.d’Arc at 21:25Comments(16)TrackBack(0)